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from竹田 真理

​『ピュアフレンズの

​今後に向けて』​

​立ち上げと

​ ピュアフレンズ代表

 特別支援学校の生徒と卒業生のために、ダンス、歌、お芝居、軽スポーツなどの活動を行うサークル「ピュアフレンズ」の代表を務める竹田です。家族、友達、支援ボランティアの皆さんと一緒に体を動かし、自由に表現できる笑顔いっぱいの楽しい時間を作りました。ピュアフレンズの活動内容についてご紹介します。

 娘が生まれた東京都は、障がい児者のための音楽療法、美術教室、水泳教室、リトミック、合唱団、プロレス教室などの多くの活動がありました。ところが、約11年前移住した安房地域では以前のような活動はほとんど見当たりませんでした。そして、支援学校卒業後は友達と会う機会が減り、友達だけで出かけることも容易ではありません。そのような状況を何とかしたいと考え、自らピュアフレンズを立ち上げました。当初の活動内容はダンスのみでしたが、現在では主に4つの活動を行っています。

ダンスと歌ー 支援学校で習ったダンスはメンバー皆大好きなので、ここでも踊ります。同じ曲でも            学校ごとに少しずつ振り付けが異なりますが、それぞれ自分が習ったバージョンで踊ります。ヒット曲・子供の曲・童謡・昭和歌謡なども踊ります。ダンスの先生からオリジナルの振り付けをしてもらった曲もあります。

お芝居ー お芝居がメンバー自身の成長につながるとの思いから、演技の練習を取り入れています。今年初めて発表会を行い、メンバに合わせて台本を作りました。絵本のような繰り返しセリフを有効に使い、発声が上手くできない子供達にはセリフの代わりに、打楽器を使わせたり旗を振らせたりすることで歌とダンスの音楽劇に仕上がりました。

頭の体操ー カードを使って、世の中のルールやマナーも学びながら、ゲームをします。視覚、聴覚、触覚を使って考える時間を作りました。

軽スポーツー 運動不足を心配する声も多く聞かれる事から、体育館で、バスケットボールをしたり、運動会種目を練習するなど、身体の鍛錬も行っています。

   以上の活動を月2回、日曜日の午後2時~4時に行っています。車椅子でも参加でき、大きな声ではしゃいでも問題がありません。大きな楽しみとして発表会を開催し、全メンバーによる発表の他に、個人発表の時間を設け、何をやるかは各メンバー親子が自分達で決めます。主役になるこの5分間が大事です。

 私は、娘や仲間のメンバー達をみていると大きな可能性を感じます。「上手い・下手」「器用・不器用」ではありません。練習をコツコツと重ね、発表する場がある事で輝きを増したとても良い顔を見る事ができます。生きる喜びや楽しみが表れていて、周りの人を癒し、幸せにするパワーがあります。そのパワーこそ彼らの才能であり、鬱々とした現代にとって、真に必要な才能だと確信しています。

​『ピュアフレンズに至るまでの娘の子育て』​​

今回は「ピュアフレンズに至るまでの娘の子育て」について記述したいと思います。私は、独身時代にヤマハ音楽教室の講師として、3歳から成人まで指導していた経験があります。また娘が生まれる前に、大学病院の小児病棟で音楽療法のボランティアをしていたこともありました。娘が生まれたのは東京都で、都や区の支援が充実しており、生後すぐにダウン症の娘の療育が始まりました。通所の療育施設で音楽療法、美術教室、水療育を受け、ダウン症家族会のダンス会やダウン症児のリトミックにも親子で参加しました。ステージでの素晴らしい発表会もありました。そして、3歳からヤマハ音楽教室で習い事の経験、同年齢の健常の友達との交流もしました。3年間通ったのですが、残念ながら鍵盤を弾けるようにはなりませんでした。5歳となる年に近所のこども園への入園が決まりました。こども園では健常の友達の中で、体操教室、和太鼓、祭、お芝居、キャンプなど、幅広い経験をさせてもらいました。娘が大好きなのは、友達、そして音楽だと気付き、友達と一緒に音楽を楽しめるよう、療育施設の体育館を借りて、「音で遊ぼう会」を始めました。リトミックを中心に、生演奏を聴かせ、ピアノやドラムなどの楽器に直に触れさせるようにしました。

 

そして東日本大震災が発生した11年前、今住んでいる安房地域に移住し、6歳の娘は地元の幼稚園に編入、その後、地元小学校の支援級に小学3年生まで在籍し、4年生進級時に特別支援学校に転校し、現在高等部2年生です。小学生の時から放課後に、キッズミュージカル、水泳教室、ホースセラピーに通いました。小学5年生と中学1年生の夏休みには、木更津市で開催された俳優の西村まさ彦さんプロデュースの市民参加型舞台に参加しました。キッズミュージカルはとても楽しく通っていたのですが、次第に娘の限界を感じるようになり、また私自身のストレスともなって、断念してしまいました。この時、これまでの経験から、この子達が生き生きと活動できる場所を作ろうと思い、2015年10月、所属していたダウン症家族会の活動として「なかよしダンス会」を立ち上げ、年齢の枠がなく縦の交流ができるような居場所を作りました。東京でのダウン症のダンス会でお世話になっていた先生に指導をお願いし、2ヶ月に1回東京から足を運んでいただきました。その先生は、普段福祉作業所に勤務され、障がい児者への理解が深く、彼らに合った指導、振付をしてくれました。いろいろな練習場所を借りながら活動を続け、2019年4月にダウン症家族会での主主催ではなく、私個人が主催する会として「ピュアフレンズ」を立ち上げ、仲間と一緒の楽しい活動にし、主役になれる場を用意しました。他の団体の発表会やコンサートに参加させてもらうなど、コミュニティーも拡がってきた矢先に新型コロナの時代になってしまい身動きが取れなくなりました。それでもZoomでのリモート開催などの工夫をしながら、たとえメンバーが娘の他1人だけになっても続けようと決めていましたが、ありがたいことに多くの仲間ができました。

 

娘は、これまで人に手を出してしまうことがあり、何度も何度も頭を下げてきました。娘に我慢させる事も多かった為、親子で辛い思いもしてきました。それでも一歩一歩模索を続けてきました。そのような娘も今では、大好きな友達と仲良く活動できるようになりました。明るい未来も見えてきたようにも思えます。それでも個人での活動には限界があります。公共の施設や支援サービスの充実度は、都道府県、市町村によって大きな格差があるのが実態です。国や地方自治体に、障がい者が普通に生活できるための制度や施設、インフラを整えていただきたいです。この安房地域にも、支援体制が整い、皆が安心して集い、好きな事がおもいっきりできる障がい者のためのセンターが開設されることを願います。

(たからレターNO.40,41より)

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