from小宮山 学
家庭医
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『発達障がいと認知症の世界』
みなさん、はじめまして。小宮山と申します。
現在は神奈川県平塚市にあるクリニックの院長をしていますが、4年前まで、亀田ファミリークリニック館山で家庭医として働いていました。
たからばこの代表の武田さんと初めてお会いしてから、もう5年くらいでしょうか。走馬くんが発達障がいかもしれない、とはじめてクリニックを受診されたときにお知り合いになってから、もうずいぶん経ちます。
最初の診察のとき「専門医の先生に紹介して ”診断” をするかどうか」と私が武田さんに尋ねたときのお返事は、今でも覚えています。
「はい、お願いします! まずははっきりさせて、そこから始めたいと思っているんです」
・・・武田さんは、そう私にキッパリ言いました。聞いた私が少しひるんでしまいました。
私は小児科でも、発達障がいの専門医でもありません。ですが専門医ではないからこそ、発達障がいと「診断」することが、必ずしも良い結果とならないこともあることを、それまでの少ない経験から、何となく分かっていました。「診断」を急いだことで、逆にご両親が発達障がいを受け入れることが遅れてしまった失敗もあります。診断を「悪い結果の告知」と考えてしまうと、多くのご両親は落ち込み、そこから立ち直り、本人を受け入れるようになるのに時間がかかることもあります。そのような経験から、大切なのは「診断」よりむしろ周囲が本人の長所を理解し、成長を優しく見守れる環境をつくることなのだ、ということも少しづつ学んでいました。
しかし武田さんは初めての診察から、どんな結果であろうとも、走馬くんの全てを受けいれる覚悟はできているように感じられました。むしろ診断を積極的に望み、結果を「告知」と受け止めるどころか、それを「出発点」として走馬くんを見守る環境、そして見守る社会を作ることに、生き生きと明るい希望を持っているようにも受け止められました。
その後武田さんは、子育てグループでの勉強会の開催からはじまり、たからばこの立ち上げ、そして今回のNPO化へと積極的に精力的に活躍されました。私もいちど、小学校で行われた講演で演者のひとりとして、呼んでいただいたこともあります。素直に「すごいなぁ」と思う一方で、初めてお会いしたときの武田さんの「未来を見続ける力」の強さを思いかえしてみると「なるほど、やっぱり」と妙に納得するものもあります。
現在働いているクリニックでは、残念ながら発達障がいの子ども達を診る機会は、そう多くはなくなってきました。ですが最近、ふと普段の診療で「これって発達障がいと随分似ているなぁ」と思う経験があります。それは「認知症」です。「自分のかわいい子供と、老人の病気と一緒にするな!」なんて思うかもしれませんが、ちょっとだけ聞いてください。
発達障がいの原因は生まれながらに脳の働きが、多くの人と異なること言われていますが、認知症も後天的に、特に記憶についての脳の働きが鈍くなることが原因です。そして、発達障がいは「障がい」でも「病気」でもないと言われていますが、私が認知症の方を多く診た印象だと、認知症も「病気」でなく単に「ひとつの老化のスタイル」ではないかと考えています。
いちばん似ているなぁと感じることは、発達障がいも認知症も「多数派とは異なる世界を持っている」ということです。ある医師は、認知症の方のことを「夢人さん」という素敵なネーミングをつけて魅力的に語っていました。発達障がいや認知症をサポートする家族にとって、いちばん大切なことは「多くの人とは異なる、本人の世界を理解すること」です。しかし「言うは易し、行うは難し」で、なかなか少数派の世界を理解することは簡単にはできません。
もう会社をとっくに引退した高齢の男性が、夜中に突然むくっと起きて「会社にいかないと」とネクタイを締め出すようなこともあります。そこで「何言っているの!もうずっと前に会社は辞めたでしょう!!それに今は真夜中よ!!!」なんて声を荒げるのはバツ。本人の世界とは真っ向からぶつかって、本人も真っ赤になって怒りますし、悲しくなります。そのとき妻から言われた「言葉の意味」はすぐ忘れてしまいますが、そのとき感じた怒りや悲しみは(感情の記憶は損なわれていないので)その後もずっと残ってしまいます。「多数の世界」にとって、本人は既に退職しており、今は真夜中なのかもしれませんが、本人の世界では、会社にいく義務もあるし、もう出勤しなければいけない時間、なのです。そんなときには「あら、まだ出勤するには少し早いみたいよ。ちょっとネクタイを外して、お茶でも飲んでから出たらどうかしら」などと、本人の世界を認めつつ、ちょっと「多数派の世界」にずらしてあげるのがコツです・・・などと、認知症の家族には指導したりします。ですが、これを実際に自然に行えるようになるまでには、家族にとってとても忍耐と努力が必要にはなります。実の娘さんや息子さんのほうが「しっかりしていたころのお母さん・お父さん」のイメージがあるので、ついついそのイメージを押し付けてしまって、つらい思いをすることなどもあります。逆にその配偶者である、義理の息子や娘のほうが、もとは「他人」なぶん、イメージの押しつけもせず「現在のお義父さん・お義母さん」を受け入れて、上手に対応できることもあるのです。発達障がいのご両親も、ついつい「多数派の子供の一般的な人生のイメージ」を押し付けて、本人も自分も、苦しい思いをすることがあるのではないでしょうか。
「多数派の世界観を押し付けず、いまの本人の世界そのままを理解する」・・・とっても難しいですよね。ですが、そのような努力をすること、そうして、少数派の世界を理解して、その世界の豊かさを共有すること。それは発達障がいや認知症だけにとどまらず、世界全体の分け隔てない、コミュニケーションの創造につながっていくのではないかと思います。
「たからばこ」の活動の先には、そんな豊かな社会があるのではないかと期待しています。
(たからレターNO.3より)